水島 宜彦さん

−『源流』と水島宜彦さん −

 電電公社「通研」で行った私の研究の中で、武蔵野に移った比較的初期に電子管用陰極に関して行った研究論文の幾つかには、水島氏と連名のものが数編あり、学会口頭発表や特許登録済みのものなどにも水島氏との連名のものが少なくない。この当時の研究は、電子管時代末期ではあったが、共に電子管用陰極や電子管用ゲッターなどに関するもので、私は水島宜彦・織田善次郎両氏共用の実験室を自由に使わせて貰い、実験データの解析・討論をこの両名、特に水島氏と共に頻繁に行っていた。『源流』の編集に当たり、この本に執筆すべき方に水島氏を加えるべく、多くの努力を払った。直接会った折りに、また、織田氏を介して執筆依頼をしたばかりでなく、遠く浜松の地に移り住んだ同氏に電話をし、深夜に及ぶまで交渉を試みた。水島氏の意向は、神代時代のことを書くなら、戦時研究に重点をおくべきで、その分野を防衛庁などで詳しく調査すべきである、ということにあった。神代分室時代のみには囚われずにその後の研究へのインパクトも大きく取り上げたい、という編者の意図との合意はみられず、遂に水島さんからの原稿執筆は実現せずに終わった。私にとっては、極めて心残りであり、残念なことでもあった。浜松(浜北市)に電話をした折、トシ子夫人が電話口に出られたが、後日「言い出したらきかない人だから」と、間に入って申し訳なさそうに私に話をされたことなども夫人への追憶と共に蘇えってくる。