孫 建明30年のあゆみ

1996年12月発行の棄京太極拳協会広轄誌に
「10年を振り返って」と題した一文を載せていただきました。
この一文の要点をここに抜粋いたしました。
私の人生観、中国武術の指導に当たっての基本的な考え方、
そして若き日の人一倍の努力などを汲み取っていただけたら幸いです。

 私が東京太極拳協会の招きで日本に来たのは、ついこの間のように思いますが、あっと言う間に10年が過ぎてしまいました。
 先日の交流大会で東京太極拳協会から感謝状をいただいたときには、本当になんと表現してよいかわからないほど、胸がいっぱいになりました。
 はじめて一人で日本に来て、寂しさや言葉の問題もあり、日本の生活のリズムに贋れず辛いこともありました。しかし、協会の皆様の武術太極拳に対する情熱に感動し、今日まで教えることに専念し続けることができました。
 私が日本語学校を卒業する時、『10年後の私の夢』という作文を書かされました。そのとき私は、【生徒の中から一流の選手を育てたい】【自分は一流のコーチになりたい】という二つの夢を書きました。先日の交流大会の表演を見ていただいた皆さんには判って頂けると思いますが、私の『夢』は実現していると思っています。
 私は10歳の頃から武術を始め、12年間プロの選手生活をしてきました。一流の選手になることは最初からの夢でした。中国で武術隊に入るということは、大変難しいことですし、またその中で選手として活躍できるのは、本当に大変なことです。武術隊には入れたものの先に進めず、途中で断念せざるを得ない人も沢山いました。
 私はもともと体質があまり勝れている方ではありませんで、よく熱を出したり病気になったりしていました。しかし、『ここで自分がしっかりしなくては』と人の倍以上努力を重ねて、ついに武術隊の隊長にもなりました。
 私は今、厳しい修行と努力に耐えられる自分の性格を一番大切にEっています。このことは、その後、俳優になった時も役立ってくれました。
 中国と違い、日本の選手は皆アマチュアです。それが最初はわからず、選手の育成に苦労しました。選手の方も大変だったかもしれません。言葉の問題もありましたが、中国武術の本当の意味を伝えるのは、今でも大変です。
 私はいつも、一流選手になる条件として大切なことは、基本(基本功、基本動作、規格)を正確に修得することと思い、そのように指導しています。これは選手にとって一番退屈で辛い訓練です。ここ数年間チャンピオンの座を保持し、活躍中の神庭裕里選手でさえ、何度か練習を中断することがありました。
 今こうして頑張っている日本の選手達は、大切な10年間を私と一緒に乗り越えてくれた素晴しい同志です。立派に育ってくれたことを心から誇りにEっています。
 1994年には広島アジア大会の日本選手団コーチとして選ばれました。また、北京市武術院から中国武術の普及に貢献したという賞を、日本武術太極拳連盟からは若手選手の技術向よをもたらした指導を評価されて特別表彰状を頂きました。これも束京太極拳協会の皆様の暖かいご指導とご支援のお陰と、心から感謝致しております。
 私は、このように素晴しい10年間を過ごすことが出来ました。これからも皆様と共に頑張っていきたいと思いますので、いつまでもよろしくお願いいたします。