戦前の逓信省電気試験所では無線通信の研究を担当していた第四部が、昭和十年代半ばに、東京・北多摩郡神代村(当時)に神代分室を新設し電子管の研究を始めることになった。この分室の創設に関わったのは、清宮 博、関 壮夫、二條 弼基の若い三技師であった。
 戦後、電気通信研究所の発足とともに電子管部と名称を変え、所在地も武蔵野市に移った。

  以後、わが国のエレクトロニクス研究開発の基になる、高度な各種の電子管の研究開発とそれに続く多種多様な半導体デバイスの研究開発が、この武蔵野電気通信研究所で行われ、電々公社で開発導入された各種の新通信システムのキー・デバイスとなった。この流れは、その後のわが国のエレクトロニクス発展のもとになり、今日のIT時代を迎えている。


『日本のエレクトロニクスの源流



−電気試験所神代分室の記録−

小 口 文 一
今 井 哲 二