『日本のエレクトロニクスの源流』には比較的短いものではあるが、「神代分室を想う」一文を寄せて頂いた。その原稿を書いて頂いたとき、先生は92歳であり、しかもその前年には大腸癌の大手術を受けられて間もない時であった。このこと自体、凡人には成し得ない強靭な意志の表れではなかろうか。原稿を頂いて、一年足らずで逝去された。
  東北大で八木秀次・宇田新太郎両巨星に師事され、やがて逓信省電気試験所電子管部で有線通信管の長寿命化の研究を成し遂げられた。その後、既に武蔵工大の学長になっておられた八木先生の要請で同大学の教授に転じられ、定年まで同大学で教育・研究に従事された。
  中村先生の非凡な偉大さは、壮年の頃から臨済宗の禅の修業を積まれ、熟年の頃には「師家」にあらざる禅の指導者としての称号を得られ、日常生活全般にわたって厳しい修行の場とされたことにある。
  終戦直後、疎開先の山形県から神代分室に夜辿り着く途中、漆黒の闇の畑道で日本刀を持った強盗に襲われた際、「このバカ野郎!」と大声で一喝し、相手を退散させた事実に、先生の面目躍如たるものがある。公私にわたり、中村先生への想いは尽きることが無い。
  先日、武蔵野研究開発センター内図書館で調べ物をした際、昭和31年に出版された『電子管工学』なる立派な先生の著書が真新しいハードカバーで製本されているのを見出し、感慨一入であった。
この他にも、中村先生には10冊近い専門分野の著書がある。