中村幸雄さんには、電気試験所「神代分室(電子管部)」が昭和16年に新設されるに至る事情を克明に記して頂いた。昭和15年電気試験所入所の中村幸雄さんは、当時数少ない学卒(東大理)者であり、電気試験所第四部(当時)から電子管の研究を分離独立させる必要性を当時の状況を踏まえ、大所・高所から論述して頂くことが出来た。多少語弊があるが、当時第四部から神代分室に数多く移られた研究補助者の立場では知りえない貴重な情報を「この本」に与えて頂いた。
 この原稿を頂いた時、「原稿が遅くなって済みません」という手紙と共に、目下は非公開で引用しては困るが、こういう自分史も書いている、という未完成の原稿も頂いた。知識分野の広い中村さんには記録に留める事柄があまりにも多かった。こうした中で、『日本のエレクトロニクスの源流』に投稿頂けたことは本当に有難いことであった。
 2002.8.3の告別式で、友人代表として弔辞を述べられた喜安善市さんから、次の事実を初めて伺った。「エスペラント、仏語、そして英語に極めて堪能であった中村さんは、通信機最大手メーカのボス的存在であるK氏より懇望されて、K氏の英語の特別顧問として強い招聘を受けた。しかし、中村さんは電気通信分野の研究者として生きてきた者として、英語で口に糊する積りはない」といってこの招請を断られたという。歯切れの良い江戸っ子であった中村さんらしい、潔い身の処し方であると深い感銘を受けた。

− 語 学 に 精 通 し た 博 識 の 才 人 −
中村幸雄さんを偲んで