序文 エレクトロニクス草創期を支えた研究者集団
小口 文一
まえがき
今井 哲二
第一章 神代分室のルーツを探して
高橋・今井(編)
一 電気試験所第四部にルーツを求める
一.一 ルーツ発見の資料集
一.二 なぜ第四部で神代分室の設立が考え出されたか
一.三 まとめ
山口 幸七
二 電気試験所の第七部・電子管部
二.一 電気試験所第七部の設立
二.二 なぜ電子管なのか
二.三 戦後の状況
二.四 終わるにあたって
中村 幸雄
三 神代村というところ
三.一 戦後の発掘調査で解明された城山遺跡
三.二 城山というところ(古代と現代)
三.三 江戸時代以降の神代村略史
高橋 得雄
第二章 第二次大戦当時の状況
高橋・今井(編)
一 戦時研究の場となった神代分室
一.一 電気試験所第四部が目指した電子管試作研究と神代分室の創立
一.二 神代分室幹部の描いた創立の構想と現実
一.三 軍への研究協力と堀岡正家電気試験所長のリーダーシップ
一.四 神代分室で行なわれた戦時研究と試練の日々
一.五 戦時研究体験記
高橋 得雄、他
二 運命に翻弄された出征職員とその思い出
二.一 三島勝氏の戦争体験
二.二 善家善四郎君を偲んで
三島 勝、上島 崔也、他
三 神代分室を支えたサポート部門
三.一 事務室について
三.二 工作室について
三.三 ガラス室について
後藤 一隆、他
第三章 山形疎開と引き揚げ
高橋・今井(編)
一 東根疎開
栗田 良平
二 二條グループの高擶村疎開
二.一 終戦間際の疎開作業
二.二 終戦と戦後の混乱ぶり
二.三 戦争の重圧からの開放と村民との交流
二.四 神代村への帰還
高橋 得雄
三 『ひがしね』月報抜粋
三.一 『ひがしね』創刊号より
三.二 『ひがしね』終刊号より
今井(編著)、吉田 重知、清宮 博、他
第四章 戦中・戦後の研究とその後の展開
今井(編)
一 戦中・終戦直後の研究
一.一 有線通信管
一.二 超短波および極超短波用電子管
一.三 特殊電子管
一.四 無線通信管
一.五 電子管部品および材料
今井 哲ニ
二 電子管研究のその後の展問
二.一 総論
二.二 電子管
二.三 電子管部品・材料
今井 哲ニ、武藤 時雄
第五章 それぞれの神代分室と武蔵野通研、そしてその後
今井(編)
一 通信管設計グループの活動
一.一 受信管の寿命試験
一.二 通信管設計の研究
小島 卓哉
二 中形・小形電力管に関わって
二.一 大学時代
二.二 電子管部時代
二.三 武蔵野研究所にて
二.四 半導体時代の夜明け
伏見 和郎
三 神代分室での体験とその後の真空薄膜作成技術の事業化
三.一 神代分室での研究
三.二 武蔵野での研究
三.三 NECへの入社と真空薄膜作成技術の事業化
三.四 我社の薄膜産業への挑戦
織田 善次郎
四 電子管部品材料のガス放出の問題に関わって
四.一 陽極について
四.二 管内絶縁物からのガス放出
四.三 ガラスとコバール封止の検討
四.四 セラミックスと金属との封着
四.五 おわりに替えて(私の研究の歴史)
武藤 時雄
五 デバイス・オリエンテッドな半導体の研究
五.一 電子放射(熱電子酸化物陰極)の研究
五.二 冷陰極放電管用酸化物陰極の研究
五.三 マイクロ波〜ミリ波半導体デバイス・材料の研究
五.化合物半導体の結晶成長に関連して
今井 哲二
第六章 様々な人間模様
今井(編)
一 激動の時代に体験した労働組合運動と文化活動
一.一 労働組合運動
一.二 文化活動
高橋 得雄、他
二 多彩な人材が集う花園
二.一 電子管研究小史
二.二 神代村
二.三 伊豆逓信病院
二.四 武蔵野研究所
二.五 タケダ理研と北京大学
二.六 神代村を振り返って
伏見 和郎
三 『神代新聞』の発行と「神代会」に属した方々への追憶
三.一 新聞「じんだい」の発行に当って
三.二 『通研新聞』のこと
三.三 あるときの「神代会」の方々を偲んで
今井(編著)、清官 博、他
四 神代分室への想い出
中村 新太郎
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