上 巻 ・ 序 文

   エレクトロニクス草創期を
         支えた研究者集団


                  小口 文一
 現在広く言われているIT革命のもとはコンピュータ技術と電気通信技術の発展にあるが、これら技術はエレクトロニクス技術からスタートしている。エレクトロニクス技術は歴史が浅く、電子管(真空管)の発明から起こった。電子管は一九世紀末から二〇世紀の初めにかけて発明され、種々の改良が行われて実用になった。その後電子管は無線機やラジオ放送などの普及と共にその利用が急速に拡大し、エレクトロニクス技術およびその産業の発展のもとになった。

 我が国でも昭和の初め頃から電子管の研究が主として製造業界で行われるようになってきた。逓信省電気試験所では、無線通信の研究を担当していた第四部が昭和一〇年代の半ば頃、東京都下の神代村に神代分室を新設し、清宮、関、二條の若い三技師を中心として電子管の研究を始めることになった。

 この分室は電子管という新しい技術の研究を目指して発足したため、夢と希望に満ちた若者達が参集し、明るく、前向きの集団であった。私は終戦直後この分室に入所した。仕事はマイクロ波通信システムの研究開発で、電子管の研究には直接関わらなかったが、当時の神代分室の気風はよく記憶に残っている。それから幾星霜、今ここにこのような記録をまとめようというのも、ここで研究をした人達の昔を思う気持ちによるものであろう。

 電子管の研究実用化は、電子管が小形ではあっても多くの部品材料から構成されており、製造技術や真空技術など多種類の技術のもとにでき上がっているものであるから、その研究を軌道に乗せ、成果を得るのは大変な仕事であった。戦時下および終戦直後の苦しい世の中の情勢もこの苦労を倍増させた。しかし担当者達はこれらの労苦を乗り越えて努力し、主として電電公社になってから、多くのシステムに彼らの成果が反映したことは特筆すべきことである。
 戦争が終結して間もなく、米国のベル研究所でトランジスタが発明された。そしてトランジスタが実用になり始めるにおよび、エレクトロニクスの分野では大変なことが起こった。それまでこの分野で君臨していた電子管がその地位をトランジスタに取って代わられることが次第に明確になってきた。

研究は将来を見通してやらなければならないから、衰退するものは研究の対象にならない。神代分室の多くの研究者達は自分の研究分野を変更して新分野の研究に変わらざるを得なくなってきた。
 その際、大部分の人は電子デバイスの研究は続けたいと考えた。そのため、マイクロ波進行波管のようにまだまだ研究が必要でそのまま研究を続ける人、将来もっとも大きな分野になりそうなシリコンを研究対象にする人、さらに少々特殊だが、新しい魅力のある化合物半導体を対象にする人の三分野に分かれることになった。研究者にとっては研究分野を変えざるを得ないことは往々にして起こるが、これは当面した本人にとっては誠に大変なことである。しかし、幸いに、シリコンの分野は、その後ご承知のようにLSIなどにより大発展したし、化合物半導体も、ミリ波や超高速のデバイス、さらに光通信のデバイスなどに広く利用されるようになったから、転向した人達もその後それぞれ腕を振るい、成果を上げることができたことは大変喜ばしいことであった。

 IT革命には各種の高度な電子システムが数多く利用される。この際これらシステムのハードウェアは電子デバイスで構成されている。したがって電子デバイスは極めて重要であるが、これらは正常に動作して当たり前というところがあり、地味で縁の下の力持ち的な役割を受け持っている。このようなことから電子デバイスの研究実用化には、新しい興味ある問題を解決しなければならないこともあるが、一般的には、専門的で細かい問題を解決する必要があることが多く、仕事自体は根気のいる、第三者にはわかりにくい場合が多い。しかし神代会の会員の多くの方々がこれらの問題に耐えて研究者の生活を全うし、成果をよげたことは誠に立派なことである。

 この度、神代会の会員の方々が、自分達の青春から一生をかけた電子デバイスの研究実用化について、努力の過程および成果をまとめられたこの記録が、少しでも多くの人達に読まれ、何らかの参考になれば大変嬉しいことである。