上 巻・ま え が き

  『千載一遇』という言葉は、「滅多に遭遇しない」という意味でよく用いらる譬えである。しかし、われわれは文字通り、千年に一度の新しいミレニアムへの節目の刻に立ち会うことができた。感なきを得ない。

 巨視的に見れば、自然の営みは毎日毎日、何事も無かったかのように繰り返されていく。かくして、約六十年前、東京・北多摩郡神代村に産声を上げた逓信省電気試験所・神代分室(電子管部)でのあれこれも、遠い忘却の彼方に消え去ろうとしている。

 当時、神代分室に籍をおき、十歳代から三十歳代の多感な、そして活力に満ちた青壮年時代を送った神代会会員も、恐らく現存者の平均年齢はいま八十歳に近いのではあるまいか。また、現存の最高齢者は九十二歳に達し、神代分室創設時指導者の最後の生き証人も、我々は、つい最近失ってしまった。

 神代分室が存在した期間は約十年間であり、現存者の中には、たかだか三年とか、長くて七〜八年位しか籍を置いていない方々も少なくない。しかし、にも拘わらず、あの頃あそこで過ごした時期を、個人的には生涯忘れ得ぬ、貴重なそして社会人の原点として、大切に胸に収めている方々の何と多いことであろうか。

 考えてみれば、それは当然のことであったのかも知れない。『新しい千年紀へ向う最後の数十年余の社会人人生の出発点が神代分室にあった』ということの意味は、単に千年に一度の節目に立ち会ったと言うことよりも、遥かに重い内容を含んでいるからである。

 連綿と続いた「神国・日本」が初めて外敵に屈し、幾百万の同胞が命を落とした、日本人がかって経験したことの無い、その時期に立ち会ったのである。そして、新生日本が、「電子管」そして「半導体デバイス」と続く「電子立国」の要としての技術開発を、神代会会員の一人一人が担ってきたのである。

 電子管なくしては、その後のトランジスタも集積回路も、そして世界をグローバルに結ぶ今日的コンピュータも、いまこの時代には存在しないことも明白である(いずれ、後日出現することになるにしても)。

 技術は、生命と同じように「進化」していく。そうした意味で「電子管」の果たした役割を、ここで改めて振り返ることの意義は極めて大きい。

 そして、この電子管の最盛期の頃に、理学分野で起こった爆発とでもいうべき『量子力学の萌芽とその一応の完成』をいち早く察知して、電子管のさらなる発展と進化に情熱を傾けた、クリエティブな知性が神代分室には顕在化していたのである。こうした指導者の影響を受けた神代会の人々は、やがてその後の半導体・トランジスタ・集積回路時代に、それぞれに、その置かれた立場において、戦後の電子立国日本を築く一翼を担ってきたのである。
 ここでは、神代分室の「創設」と「電子管の研究」とが、その後の「トランジスタ・集積回路時代への貢献」に連続的かつ必然的に引き継がれていった事実を、一つの太い柱として据えた。 第二次大戦に巻き込まれたために体験した特異な出来事や人間模様も、神代会会員にとっては、貴重なそして懐かしい思い出でもある。それらを、幾つかの太い枝として添えた。

 また、個人史とでも言うべき、神代分室に萌芽した半世紀を越える歩みも載せた。この中には、初めて真相が述べられるドラマチックな出来事も、一つの教訓として、大きな感謝の想いを込めて披瀝されている。

 いまこの時代を、実感としてどう認識しているかについては、大きな個人差があると思われる。立花隆氏によると(朝日新聞:二000年、八月六日)、『五億年以上前の古生代カンブリア紀に、生物学的進化の大爆発があった。何億年後かに振り返れば、今は同じ大爆発がヒトの知の領域で起きた時代と見えるかもしれない』。『今世紀前半、理学的な知の爆発があった。それが後半の工学の大爆発をもたらした』。

 コンピュータによる物質操作で、人はすでに《神の領域》に入ったと言われる現在、IT革命の一翼を担ってきた我々は、科学技術立国しか道が無い日本の前途に、神代分室以来の回顧の記録と共に思いを巡らしたい。

 そして、神代分室創設時の指導者の方々を偲び、いまこの時に、将来を見据えて我々に呼びかけている故人のメッセージを、しかと聴きとっていきたいと願う。

 なお、昨年六月に『NTT R&Dの系譜』なる技術史がNTT-AT鰍謔闖o版された。本書はそのことを踏まえ、それとの重複を避けることを意識し、電子部品の分野で、それを多少なりとも補完する役割を果たすべく纏められた。

 さらに本書は、編者の一人による、多大な資金面での援助により出版に漕ぎ付けたものである。このことを明記し、寄稿して頂いた多くの神代会会員の皆様と共に深甚の謝意を表する。

             平成十二年九月
                編者(代表:今井)