浅川 俊文さん

 浅川 俊文(あさかわ としふみ)
 昭和二年二月一六日、山梨県小淵沢町に生まれる。
同二五年京都大学理学部物理学科卒。 同年電気通信省電気通信研究所に勤務、トランジスタの研究に従事、同三七年退職。 同年三菱電機中央研究所に勤務、同三九年に北伊丹製作所集積回路部に転勤、 集積回路の開発製造に従事、事業の立ち上げを行ない、同四七年に退職。同年リコーに勤務、 ファクシミリ事業部でデジタルファクシミリの開発と製造に従事、翌年半導体事業の準備に着手、 翌年電子デバイス事業部長、同五七年に常務取締役、任天堂向けファミコンCPU、 MOS型PLD等の開発製造販売を行い、半導体事業を軌道に乗せる。同六三年退任。 平成元年日本鋼管に顧問として勤務、同社のLSI事業の立ち上げの指導を行ない、現在に至る(1993年)。


− 浅川さんと「源流」−

 『 日本の半導体開発 −劇的発展を支えた25人の証言− 』工業調査会(1993年発行)に浅川俊文さんの『トランジスタからLSI 』と題する一文と日本におけるトランジスタ開発初期における幾つかの貴重な写真が載っている。この冒頭にある浅川さんの顔写真とプロフィールを上に転載する。
岩瀬新午さんの陰に隠れて、浅川さんの日本におけるトランジスタ開発のパイオニアとしての業績とその後のご活躍について、知る人は少ない。浅川さんは、半導体物理の基礎を確実に把握された基盤に立って集積回路を主とする半導体デバイス開発の分野でも企業の中で立派な業績を挙げてこられた。
『 日本のエレクトロニクスの源流 』の編集に当たって、「化合物半導体」と並んでSi(シリコン)についても (1).Siウェーハ大口径化の歩みと (2).シリコン集積回路を中心としたシリコンデバイスの発展の過程を大きく取り上げる予定であった。その目的でSiウェーハに関しては水間基一郎さんに、そしてデバイスに関しては浅川俊文さん執筆をお願いすることとし、このお二人には、わざわざ聖ルカレジデンスで恒例的に開かれていた編集会議にご出席いただき、お二人には執筆をご快諾頂いた。提出頂いた原稿は、前掲『日本の半導体開発 』とは全く異なる論調のもので、日本の企業体質を鋭く批判される、ご自分の長い企業体験に基づくものであった。ご自分の体験だけに極めて興味深い文面であったが、今回の『源流』の主旨には必ずしも沿わないものと判断し、丁寧にお断りする結果となってしまった。大変申し訳ないことではあった。