・ 本籍地が山形県であったため、山形県知事からの祝電がその
第一号となり、少し驚いた。生まれ育った出身地からも多数の
祝意を受け、有難いことであった。
・ 慶事に関する祝電については、通常のものにしか接したことが
無かったが、素晴らしい立派な容器・台紙があることにも驚いた。
・ 日本電信電話竃{社・旧所属研究所・OB諸団体からの祝意に
感謝すると共に、こうした職場に勤務した幸運に改めて思いを
致した。

・ 勲四〜勲六受章者への伝達式以後の宮中参内に関しては、序列の
区別なく入り混じった状態で行動を共にした。
このことに大変好感がもてた。
・ 伝達式には、勲四以下は平服でもよい、とあったが勲六受賞者の
方々も殆どモーニングを着用し、その喜びが形の上でも表されて
いるようであった。
・ 配偶者同伴ということであったが、極く僅かな例外を除き
95%以上が同伴であったように思う。勲六では60歳台の方も
おられたが、勲四〜勲五はすべて70歳台であるにも拘らず
夫婦揃って伝達式に臨めたことはお互いに大きな幸せで
あったと思う。と同時に長寿社会になった日本を実感した。
・ 同じ勤務先研究所からは、お互いに旧知の三人が受章者と
なり、奥様方を含め語り合う機会を得たことは嬉しいこと
であった。野田健一さま(元武蔵野通研基礎部長)および
富田泰夫さま(元武蔵野通研調査役)に、ここで改めて
祝意と感謝の意を表したい。
・ 北海道に住む親戚より、「大きな町だが、
ここでは戦後叙勲制度復活以来、勲四・受章
者は二人だけ」と祝って貰った。
しかし、今回の受章に関する周囲の受け止め
方は、実に多種・多様であった。
当然のことではあるが。
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