水島 宜彦さん

− 水島トシ子夫人を追憶する −

 トシ子夫人(旧姓滝田・神代会会員)を突然に失って丁度一年が経った。トシ子夫人は、私にとっても古くからの親しい神代会会員として忘れ得ない存在であった。いつも、穏やかな話し振りで静かに人の話を聞き、話をする人の心を自然に和ませてくれる優しい心根が滲み出てくる、そんな人柄の方であった。 率直に言って、大変気難しく頑固でもあった旦那さんを敬意を以って支え、そして家庭の柱として立て通したトシ子夫人であった。不整脈ということで短期入院され、快癒を目前にしての極めて稀な症例で忽然として幽明境を異にされてしまった。このことは、「さすがの」というか「あの」水島さんをして、奈落の底に突き落とす激震を胸の奥深く痛烈に与えることになった。  昨年五月に水島氏より送られてきたトシ子夫人の数葉の写真の中の一枚をここに揚げ、心からなる哀悼の意を表する次第である。なお、この写真送付状に添えて氏が書き加えて下さった一文も下に記しておく。
 「せっかくいろいろ仲良くしていただいたのにね。パートナーの価値は、失ってはじめて身に沁みます。お互いに大切にしてあげて下さい。」
                               水島 宜彦



水島トシ子 生涯句集

 今年一月水島さんより、トシ子夫人を偲ぶ句集が送られてきた(文芸社 2003.2.15 発行)。ここにその表紙を掲載する。トシ子夫人が数十年にわたって書き留めてきた十七文字を筐底より拾い集めて年代順に整理したものである。心を打つものに溢れている。そして、それに劣らず私の心に響いたのは、巻末に付した水島氏のトシ子夫人を追慕する100首に及ぶ心の叫びとしての「挽歌」である。共に喜寿を過ぎた老夫婦の真の愛情を目の当たりに見る思いがし、胸に迫るものがある。

挽歌の中より次の三首をここに紹介しておく。
 ・ 人にとりては只の老女と見ゆるなれ
        吾にありては永遠の若妻

 ・ 朝明けず危篤の妻に頬よせて いとしき髪をば撫でて過しつ
 ・ 夕さればもしかして君還るかと しばし門辺に立ちつくす日々