半世紀の時を引き継いで



第二次大戦直後から電子管の研究実用化、そして引き続き半導体デバイスの研究実用化に携わった我々は、まさにエレクトロニクスの進歩・発展と歩みを共にしてきたことになる。

電気試験所神代分室で研究を始めた「神代会」のメンバーの殆ど大部分はそうした道を歩んできた。『日本のエレクトロニクスの源流―電気試験所神代分室の記録―』の中では、電子管から半導体部品への移行過渡期に、電電公社電気通信研究所という組織の中で多大な苦労をされた「研究室長」クラスの方々を偲び、多くの頁を割いている。

同一研究室・研究部で長い期間に亘って指導を受けてきた「もと神代会会員」の先輩であり、義兄でもある「橋本太吉」さんを忘れることは出来ない。そうした意味で、本書下巻p.188に、1954年の『通研月報』の表紙に載った若き日の橋本さんの写真を掲載しておいた。ここにそれを再掲する。

先日、日本電信電話鰍フ第17期決算特集『 NTT is 2002夏号、が送られてきた。そこには、宮津体制を引き継いだ新役員の名が載っていた。そして、その中に「橋本 信」の名前を見出した。

上掲「橋本太吉」さんの写真から、ほぼ半世紀を経て、長男の「信さん」がもと電電公社の本社である日本電信電話鰍フ役員となった。感無きを得ない。

「太吉さん」が電子管から半導体部品への変革期に多大な苦労をされてから約半世紀、今NTTは「固定電話」の時代から「ブロードバンド」を掲げるIT革命の時代に入り、大きな曲がり角で既にハンドルを切り、世界を相手に熾烈な競争を勝ち抜こうとしている。

A.トフラーが『第三の波』で予測したエレクトロニクスの革命的なインパクトは、その予測を遥かに超える時代へと我々をいざなった。

「信さん」は第二部門長であり、旧組織で言えば「施設局」や「建設局」などを束ね、外部的には全国通信建設業界対応の窓口となる職にあるが、研究開発分野
(第三部門)とも無縁ではない。

改めて「橋本太吉さん」を偲び、「信さん」の活躍に心からの期待を寄せたい。

橋本 NTT第二部門長

Lカソードの実験をしている橋本太吉さん(右)