ランの花には、我々の身近にあるものだけでも君子ランから春ランに至るまで実に多種多様なものがある。
 オーストラリアの乾燥した砂漠地帯では、風媒や不特定の昆虫による受粉が困難なため、花弁の一つがある特定のハエやハチの雌の形状そっくりに長い年月をかけて変形し、その特定の昆虫の雄が飛来するのを待つという。こうした特定の昆虫の雌の形状に形を変えたランの種類は110種類に及ぶとのことである。
 種を残すためのこうした生態系の神秘的進化には人知の及ばない自然の摂理を知ることができ、畏敬の念を禁じ得ない。
 20世紀前半物理学の分野で芽生えた量子力学は、「半導体」の概念を明確にし、トランジスタを生み出すと共に、20世紀後半における工学の分野での大爆発をもたらした。驚くべき自然の摂理は、整然とした物理学のミクロな理論にも及んでいる。
 固体における電子の「トンネル効果」は、江崎博士が前記電気通信学会誌の特集号で、「トンネル効果には電子放射の仕事をしている当時から関心を持っていた」と述べているように、電子管の時代においても量子力学に基づく固体論は、電子放射に携わった者にとっては不可欠な学問分野であった。江崎博士によるトンネルダイオードの発明がもたらしたインパクトは、電子回路・固体物理の両面において計り知れないものがある。

 クリエイティブな指導者によって、神代村の地に設置された電気試験所「電子管部」は、武蔵野の地に集結後、複数の研究部に分散はしたものの、その主流は「電子管研究室」と名を変え、その後「電子部品研究室」⇒「半導体部品研究室」と名を変えていった。
 幸か不幸か私はこの「電子管研究室」⇒「電子部品研究室」⇒「半導体部品研究室」という変遷の真只中で、研究を継続してきた。
 私が最初の卒研生を迎えたのは昭和31年度であり、当時は「電子管研究室」に所属していた。そして最後に卒研生を受け入れたのは昭和41年度であり、そのときは「半導体部品研究室」であった。
 この間私の研究グループの構成員は数名に過ぎなかったが、1名を除いてはすべて神代分室からの仲間であった(昭和42年には私自身が “半導体部品研究室長” を命ぜられたため、この研究グループを離れざるを得ず、外部大学からの卒研生受け入れも昭和41年度で終わりとなった)。
 このような事情を踏まえ、「通研卒研生名簿冊子」の表紙は以下のようにした。