赤崎 勇さんについて
赤崎勇さんと知り合ったのは何時の頃からであったろうか。初めての出会いをはっきり思い出すことは出来ないが、赤崎さんは或いは覚えておられるかも知れない。しかし、赤崎さんの研究の歩みは私なりにはっきり追うことが出来る。それは、有住徹弥先生を介してのお付き合いがあったからであろう。
私が有住先生を存じ上げるようになったのは、終戦直後電気試験所神代分室(電子管部)に就職し、最初に取り組んだ仕事が有線通信管の不良対策とその長寿命化にあった頃である。当時、この真空管を製作していたメーカは日本電気鰍ニ神戸工業梶i旧川西機械・現富士通梶jの二社であった(後に鞄立製作所も加わる)。日本電気においては、当時原島治さんなど優れた学者の方とお付き合いをさせて頂き、神戸工業では有住徹弥先生と有線通信管の長寿命化に関して多くのご意見を伺うことが出来た。とくに有住先生は、酸化物陰極の研究者として、川村肇先生と共に製造メーカの立場で実践的なオリジナリティの高い御仕事をなされ、電子放射分野の大家として夙にその名が知られていた。
有住徹弥先生の門下生としての古き友人