戦後「同好会・電子放射研究会」が再開されたとき、この研究会の活動に対し指導的役割を果たされたのが、川村先生・有住先生、そして電気試験所電子管部の方々であった。こうした時期に赤崎さんは神戸工業の有住先生の許に就職された。有住先生はその後、名古屋大学に移られ、赤崎さんも松下電器鞄結梃、究所を経て名大に移られたから、赤崎さんは文字通り有住先生の門下生と言えよう。私は、上記「同好会・電子放射研究会」を応用物理学会の「分科会」として組織化し、「応用電子物性分科会」として発展的に再生させるため、初代分科会幹事長を有住先生にお願いした立場にある。そして、これが定着するまで私は庶務幹事として有住先生を補佐した。その間、直接・間接的に先生の御指導を受けた門下生であると自認している(
阪大の菅田栄治先生の門下生でもあるが )。
私が静岡大学在任中、赤崎さんより電話があり、有住先生叙勲祝賀会計画の相談を受けた。この祝賀会の実現を見ずに有住先生は御他界された。
赤崎さんが研究対象としてGaNを取り上げ、長い年月に亘り、これを用いた青色発光素子の実現に取り組まれたことは、半導体デバイスの分野で仕事した者たちが一様に知るところである。古くからの友人として心から「武田賞」受賞をお祝いしたい。