正面玄関方向を見る。
右手に資料館。

平成12年に出来た資料館を右手に見て。

新棟玄関付近の桜と池

北門から新棟を見る。右側には旧8号館

新棟から北門方向を見る。

右側に新棟

3号館の次に移った8号館は未だに残っていた。

昭和25年末、神代から移り、十数年研究に没頭した、3号館は2号館と共に撤去され、広い空き地となっていた。憩いの広場になるという。

観測史上記録的な早さの桜満開宣言ということで、久しぶりに武蔵野通研(現 武蔵野研究開発センタ)構内とその周辺を歩いてみた。
 昭和
40年代終わり頃に通研を辞した私にとって、通研といえば中島飛行機跡の電気通信研究所だけであった(茨城通研は、当時茨城支所と呼ばれていた)。
 その後複数の通研が次々に生まれ、組織も目まぐるしく変化していった。

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